2012年05月03日

第21回 14団VS隊長の巻

ボーイスカウトだって雪山に登るんです!
豊中14団VS隊の登山活動史

1997年、東京の大学を卒業して大阪に戻ると、シニアー隊副長のポストが用意されていました。
当時シニアー隊はメンバーも少なく、活動もあまりしていない状態でした。大学時代、地形学を専攻していたことから、ゼミで氷河地形や高山植物を調査しながら木曽駒ヶ岳に登る機会がありました。その時の感動は未だに忘れられません。
「そうだ、シニアー隊の活動に登山を取り入れよう!」と考え、その夏、御嶽山に登りました。翌年、シニアー隊からベンチャー隊に移行し、隊長をさせて頂くことになりました。メンバーも徐々に増え、夏季プロジェクトには登山を取り入れた活動を実施するようになりました。

1998年夏は北海道遠征での利尻岳登山と礼文島縦走、1999年は韓国済州島遠征でのハルラ山登山、2000年は屋久島遠征での宮之浦岳〜縄文杉縦走を実施しました。2001年からは毎年、北アルプスor南アルプス縦走登山を実施し、2009年には南アルプス南部を1週間かけての大縦走をしました。登頂したピークの数は20座、累積標高差はなんと5000m以上!でした。

我々14団ベンチャー隊はここ数年、雪山登山にも力を入れるようになりました。厳冬期は滋賀県湖西の比良山系や伊吹山をホームグランドとし、スノーシューで日帰り登山を実施しています。新雪の上を自由に動き回れるスノーシューに、隊員たちはすっかりはまっているようです。

ゴールデンウィークは雪山登山と雪上幕営訓練と称し、今年で5回目の遠征となります。2008年は記念すべき初の雪山遠征で白山に登頂しました(テント2泊)。室堂の山小屋群や鳥居がほとんど雪に埋まっていたことに驚きました。2009年は雪の御嶽山に12年ぶりに登頂しました(テント2泊)。C2(キャンプ2)を三ノ池に設けましたが、就寝時、ライチョウの大合唱で眠れなかったです。2010年は遥かな尾瀬♪に遠征し、東北の名峰、燧ヶ岳と至仏山に登頂しました(テント4泊)。凍った尾瀬沼を横断したのがとてもスリリングでした。2011年は北八ヶ岳全山縦走を実施し、10本歯アイゼンとピッケルの使い方を習得しました(テント4泊)。

雪の上にテントを張る方法を説明しておきましょう。@雪崩の危険が少ない場所の選定、Aスノーシャベルで設営場所の整地、B雪山用テントの設営、Cペグの代わりにスノーアンカーを埋め込む、といった流れとなります。
普段の設営より手間がかかります。また、雪の上で寝るのはなかなか大変です。寝ていると地面に接している体の部位が冷やされて、その都度目が覚め体勢を変えます。短くて30分くらいで。よって接地面が少ない横向きでの就寝を余儀なくされます。この横向きでの体勢、左向きより右向きの方が長く眠れます。おそらく左向きだと心臓から流れ出す静脈がすぐ冷やされるからなのでしょう。こんな体験ができるのも雪山ならではです。

昨年の夏、個人山行でヨーロッパアルプス第2の高峰であるモンテローザ・デュフール峰(標高4634M・スイス/イタリア)にトライしてきました。タイムオーバーの為、山頂まであと僅か275Mのところで撤退してきました。しかし、真夜中からの登山、クレバスだらけの氷河歩き、アンザイレン(ザイルで連結する滑落防止手段)など、異国の地で素晴らしい体験をすることができました。いつか隊員やOBたちと海外登山にトライしてみたいものです。

目標はヨーロッパアルプス最高峰のモンブラン登頂です。その為にも日本の雪山で訓練に励まなければなりません。まずは今年の槍ヶ岳登頂プロジェクトです。この記事がアップされている頃はきっと雪と氷と岩の槍ヶ岳登山の真っ最中でしょう!今年こそ雪の上で快適に眠れればいいのですが…。 

豊中14団VS隊 隊長 井 元 成 治


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↑ブライトホルン・サミット(標高4164M・スイス/イタリア)にて…昨日敗退したモンテローザを左奥に望む

豊中14団VS隊登山記録.pdf
posted by 事務局 at 10:43| 大阪 ☁| Comment(0) | リーダー数珠つなぎ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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