2008年11月03日

第11回 2団BVS隊長の巻

ある同窓会


「お前がボーイスカウトの副長やってるなんて、信じられへん!うそやろ?」。

転勤で地元に帰って来てから初めて、久しぶりに中学の同窓会に出た時、同級生に言われた言葉です。昭和30年代の終わりに生まれた私たちが子どものころは、スカウト活動が盛んだった時代。
現在私が属する豊中2団にも、かつてはたくさんの同級生が属していました。
集団行動が苦手だった私は、どちらかと言えばその同級生に背を向けた少年時代を送っていたような気もします。奴らの言うことにも一理ある・・・。

 そんな私も結婚して親になり、たまたま近所の方にお誘いいただいたのが豊中2団。
「指導者講習会」の呪文で副長へ、「WB研修」の呪文で隊長に変身し(させられ)、丸2年がたちました。今となってはこれも何かの縁だと思っています。来年の夏には3年ぶりの同窓会が開かれます。
「隊長になった!」と報告したら、今度は友だちに何と言われるのでしょうか・・・。

豊中第2団 ビーバー隊 隊長 川辺 隆志
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2008年10月22日

第10回 14団BS隊長の巻

 私が14団と関わったのは、丁度10年前。
十年ひと昔と言いますが、ビーバー隊からお世話になった愚息もベンチャー隊員となり、時間が経つのは本当に早いものだな、と実感しています。
当時、家内に「YMCAに入れようと思うんだけど・・・」と言われた時に、私自身が入隊していて散々お世話になりながらも完全に忘れていたボーイスカウトをふと思い出して、「YMCAに入れるんだったら、ボーイスカウトの方が良いんじゃないか」と答えたことを覚えています。
 大阪連盟に電話して、「場所(緑地公園)的に言うと何団か候補があるが、14団が良いのでは」という推薦?を受け、千里ひじり幼稚園に隊活動を見学に行きました。
冷静に考えると 私のスカウト時代はカブ隊(小学三年生)からだったので、幼稚園児が入れるはずがないのに、活動を見に行ったこと自体、ボーイスカウト活動を完全に忘れていたのだなと、今更ながらお恥ずかしい話です。(笑)
 活動を見学した時に、当時のビーバー隊杉村隊長の「何故ボーイスカウトを知っているのか」という質問に、迂闊にも『スカウト出身者です』と言ってしまったのが運の尽き。
ビーバー隊副長1年、カブ隊副長1年を経験して、研修所のカブ課程を卒業したにも関わらず、何故かいきなりボーイ隊隊長。しかも、当時の井元ボーイ隊長の後釜として。
経験豊富な隊長が多く在籍する当団で、8年経った今もそれなりのプレッシャーを感じていますが、何とか最低限のことはできているのかな、と勝手に思っています。(苦笑)
ただ、少し慣れが出てきてしまっているので、初心に戻って、スカウト達に向き合っていこうと思っている今日この頃です。
 先週の日曜日の10月19日、豊中14団は発団40周年を迎えました。
記念式典の中で、ふと「私がスカウトになってから何年経つのかな〜」と思って計算してみると、何と14団と同じ40年であることに気付き、大阪連盟からの推薦のこともあり、運命的なものをちょっぴりですが感じました。(笑)
さらに、人前で話をするのが得意ではない愚息が、40周年記念式典の司会という大役を任され、団リーダーの皆様の多大なるご尽力を頂きながらも、何とか司会を全うできたことで、彼なりに少しは自信がついたように思いましたし、ボーイスカウトに入隊させて本当に良かったと思いましたし、スカウト活動が本当に良い活動であると改めて考えさせられた一日でした。(かなり親バカが入っていますが・・・)
 当団や豊中地区の諸先輩を見習って、世の中に少しでも恩返しができるよう、微力ですが、これからもスカウト活動に携わっていきたいと思います。宜しくお願いいたします。
                      
豊中第14団ボーイ隊隊長  金澤 聰

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2008年10月15日

第9回 18団VS隊長の巻

私がリーダーをしている理由

 私は、小学2年の時にカブスカウトのリス課程で入隊以来(ちなみに当時はビーバー隊は制度として存在しませんでした)のいわゆる『スカウト上がり』のリーダーであります。4歳年上の兄が先に入っており、父がリーダーをしていたので、入隊前からよく親に連れられて行事に参加していましたから、私にとっては入隊することはごく当たり前のことでした。逆に言えばそれほどの意識もなく入隊したというのが正直なところです。そんな感じで入隊したのですが、活動的には面白くいい思い出をたくさん作ることが出来たと思っています。

しかし、元々意識が低い状態で入隊してますから中学から高校となるにつれて少しずつ活動への参加が遠のいていきました。カブ隊からボーイ隊に上進したときに11人いた同学年のスカウトも、シニアー隊(現在のベンチャー隊)に上進するときには私一人だけになっていました。このことも私の足が遠のいていった原因の一つではあります。しかしそれでもなぜ私がやめなかったかというと、親が積極的に活動に関与しており、やめろとは決して言わなかった、ということが最大の理由かもしれません。

 そしてその後、私は病気により長期療養をすることになりました。この時にたくさんの人から精神的な助けをもらい、今度は自分が人に対して何かをする順番であると考え、病気から回復してスカウト活動に復帰しました。復帰すると同時にリーダーとして活動し始め、そこで改めて様々な研修などからスカウト運動の奥深さを認識し始め、今日に至るという感じです。

 最近、ボーイスカウトから離れていく人を見ていると、『子ども(スカウト)がやめたいと言っているから』という理由をよく聞きます。しかし、私の経験からすれば本当にその年齢で真剣に考えた結論なのかな?と疑いたくなることが多いように思われます。

もちろん意識レベルが高く、他に目標がありそれに向かって努力したいからという前向きな理由で辞めていくスカウトも稀にいますが、そのほとんどは『親が辞めさせたい』と思っているからのような気がしてなりません。ボーイスカウトはボランティアで運営しているわけですから保護者の運営への理解・協力は不可欠です。

 しかしそれを負担に感じる保護者がどんどん増えてきているというのも現実であろうと思います。保護者の意識レベルが下がってきたと言う人もあろうかとは思いますが、近年の社会状況から時間的、経済的、精神的『余裕』が無くなってきていることも原因だろうと思います。そういう状況下で『負担』は誰にとってもしんどいものです。

 今一度、『負担』ではない大人の関わり方を考える必要があると思います。単純に言えば大人にとっても『楽しい』『有意義である』必要があると。特にリーダーや団の運営に深く関わる立場の人には、他の大人が『楽しい』『有意義である』と感じてくれる環境を整えることが求められると思います。『楽しい』『有意義である』と感じて参加してくれている保護者はスカウト運動の理解が徐々に深まり、(一時的に活動から遠ざかっていても)子どもをそんなに簡単には辞めさせないと思います。

 近年の、スカウト数の減少に歯止めをかける為にはまず我々がこの運動を『楽しむ』ことから始めるべきではないか、そして自分の周りの大人が楽しんでくれているか、参加しやすい雰囲気が出来ているか、ということに注目していく必要があると最近特に感じています。

 結論。活動から遠ざかっているときに辞めさせたりしなかった理解ある父親がいたこと、そして現在、リーダーとしてまだまだ足りない部分はありますが『楽しく、有意義』に参加させてもらえていること、これがわたしがリーダーをしている理由です。 
豊中第18団 VS隊長 北之坊 晋次
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2008年09月29日

第8回 8団CS隊長の巻

−身近な木、草、虫、と触れ合おう−


「ボーイスカウト活動」のほんぶんは「野外活動」です。
豊中の活動のフィールドは多くの自然に囲まれています。
活動の際に、出来るだけこの環境を利用して自然に触れましょう。
 一番最初は、木や花や虫や動物の名前を覚えましょう。
次に活動の時足元や周りをみて、そこにある”本物の自然”を見つけましょう。
そうすれば、もっともっと楽しくなりますよ!
 ただ、自然には多くの「危険」も潜んでもいます。

そこで、隊員諸君、リーダ、お父さんお母さんも覚えていてほしい自然の「豆知識」を紹介しておきます。

豊中8団 カブ隊長 丸山幸夫


覚えておいてほしい「自然の豆知識」
(クリックすると大きな画像で表示します。)


[1] 身近な自然で見られる生物
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[2] 自然に潜む多くの「危険」
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2008年09月17日

第7回 16団BVS隊長の巻

ビーバースカウトと私


ある日曜日の朝、“青い服”を着た愚息が枕元を駆け回った。
「なんや!その格好は」不快な顔で怒鳴った。「ボーイスカウトのカブ隊に入りましたんです!」愚妻からなぜかいやみな返事。「なに?ボーイスカウト!」存在を知ってはいたが、ボーイスカウトの言葉を身近に認知したのはこの時が初めて。もう35年程前のことだ。
 そして今、ビーバー隊の隊長。まさかこの年になって「制服」を着ようとは予想もしなかった。
 我が団のビーバー隊は17年間存続したが、平成15年には急激なスカウト不足で消滅、翌年3月には登録不可能となった。
「これはいかん!」と隊の復活を目指してスカウト獲得に奔走。しかし、復活への路はなかなか厳しいものがあった。
 アッという間に2年の空白が経った。その年、やっと5名の隊員を募集、同18年3月に登録が認められ念願の復活を果たし、晴れてビーバー隊が再スタートした。
 ところが、「さあ活動開始や!」と意気込むも前任の隊長が病気で他界されて不在。今度は隊長の後任捜しに悩まされた。緊急の団委員会で頭をひねったが、なかなか適任者が現れず時間が経過するばかり。
 「しかたがない…義を見てせざるは勇無きなり!」こんな時に引用する言葉かどうか?恥ずかしながら思わず手を上げてしまった。会議室に拍手が起こったが、何となく冷やかされムードを感じた。
 名乗り出たものの、隊長登録する資格(WB)がない。それに、こんな高齢で受講できるのか。恐る恐る連盟に問い合わせた。「大丈夫ですよ。時々お年寄りの方もこられますよ」いとも簡単な返事がかえってきて、いささか拍子抜けの思いがした。
 大阪33期・研修所では、例によって「青少年をより良き社会人にするための社会教育運動」の重要性を先生方からいろいろ説かれたが、はなはだ不謹慎ながら頭の中は「そんなことより隊長登録が出来るために…」の思いだけだったこと。「寒くて眠れないテントの中」「坂道の登り降りの疲労」「眠気をこらえながらの講義」等々に耐えたこと数々。
 しかし、グループの面々が「一際目立った年齢差」に対し温かい心遣いがあったこと。
さらに、最終日にあの「達成した感動」があったこと・・・すっかり“苦難の修行”を忘れさせてくれた。
 隊長を引き受けて2年と4ヶ月(9月末現在)、また「耐える」ことを体感し続けている。
“孫”スカウト達の腕白ぶりの相手をするには「体力」がついていかない。
プログラム作りには「能力」が伴わない…。しかし、彼らの天真爛漫の行動から発揮する“エキス”をもらうお陰で「健康管理とボケ防止」には大いに役立っている。
 さて、いったい何時まで続けられるか…。早く“若い”隊長の現れることを期待する今日この頃である。
−最後に当方は昭和10年4月生まれです。


豊中16団ビーバー隊 隊長・小塩正人
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2008年09月09日

第6回 1団VS隊長の巻

TOYONAKA 大阪 1 って何処かで見ませんでしたか?

 そうなんです、TOYONAKAは左うでの縫い目に沿ってつける。
大阪はその下すぐ、1(数字)は縫い目から5cmぐらいにつける。
班長章はその下にとユニフォームの記章の付け方見本「スカウト手帳」
と「カブスカウト隊長ハンドブック」に載っています。

昭和54年(1979年)豊能地区から独立して豊中地区が出来て3年目、
2ヶ日間コースの指導者講習会をすませ、デンダットで「ちかい」をたて、
スカウト活動を始めました。
なぜかそのときから、スカウト手帳には、記章取り付け見本は豊中1団でした。
デンダットは制服は上着だけ、チーフは団のでなく紺と黄のカブのでした。
いきなり工作のテーマ委員で隊集会企画を任されました。
人を使うのがうまい隊長でした。

 その年は、第3回日本アグーナリーが長居であり、事前にハンデキャッパーに
接する訓練を福祉会館で受け、奉仕に行きました。秋にはカブラリー、翌る年はBP祭、
第1回地区キャンポリーが「あいばの」であり、けっこう忙しくて楽しい活動ができました。
デンダットを2年、その間に、野営法を菊コース、隼コースと受け、CS研修所を経て
CS隊長、BS隊長、SS隊長、VS隊長、とスカウト活動30年・・・。

 想いおこせば、12歳(小6)の頃、蛍池ではスカウト運動が始まってました。
同級生クラスの中にも何人かいたようです。
その頃クラスでは、放課後、ホームルームの時間、休日に「ゲーム」「ハイキング」
「合唱」「飯ごう炊さん」と担任の先生<あだなはベートーヴェン>音楽担当が、
蓬莱峡、芦屋ロックガーデン、NHKにつれていってくれました。

我々のクラスは「平和の町」といいました。日本に民主主義が芽生え始め頃でした。
「平和の町」には憲法も裁判所もあり、いろいろな大臣が役目を受け持っていました。
民主主義のはしりを行っていたのかな、クラスの歌もありました。

その歌は「光の路」でした。

60年ほど前から唱っていた歌です。
先生は豊中第1団ボーイ隊の初代副長で藤井 翼と言い、ご健在で東京小平におられます。

豊中第1団VS隊隊長 森井正次


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2008年09月02日

第5回 16団BS隊長の巻

私がBS運動に関わったのは、息子がビーバー隊に入隊し、その付き添い人として参加したのが始まりです。
息子の入隊の理由は、娘が先にガールスカウトに入隊していたことと、私の趣味が登山であったことでGSと同じ場所に本部があったBSに息子が入団しました。
そのため娘は母親、息子は父親の担当として我が家のスカウト活動がはじまり、現在に至っています。

 リーダーとしてのスタートは「弁当の出る講習会があるから参加しないか」と誘われたのが始まりですが、受講後しばらくして相模原市(神奈川県)に転勤となりました。転団するにも現地の事情が分からず市役所に電話してBS.GSの団の状況を確認したのが懐かしく思い出されます。
そしてCSの集会で子どもの同期4人の父親に対してリーダーの誘いがあり、お世話になっていることから私を含め皆了承して、リーダーとしての活動がスタートしました。
相模原市は山中野営場にも近く各種研修をそこで受けることができました。

各リーダーと一緒に活動をしていくなか、スカウト・デンリーダー共に一年毎に大きくなっていくのが実感として感じられました。
そのころ乗っていたオートバイに対して「カブ隊の隊長はカブが似合う」と言われ今も愛用して2代目に乗っています。

 また転勤で大阪に戻ってくることになりました。
どこに住むか考えましたが昔お世話になった団の近くに引っ越すこととし、昔の団に親子ともに転団しました。
その時講習会での弁当の話をしていただいた先輩リーダーが、ビーバー隊のときの写真を持ってきて歓迎していただきました。
いまは故人となられてしまいましたが、この運動に案内いただいたその先輩の意思を継いで行きたいと思っています。
引っ越してみると近くに他の団があることが分かり、現在は友団として一緒に活動を展開させていただいています。
 スカウト運動に関わるようになってから、日常生活において、会社生活においても自然にスカウティングの話をするようになってきました。
これも今まで御指導いただいた先輩リーダーをはじめ各リーダー・保護者のお蔭と思います。それと何にも益してスカウトの明るい成長が励みになっています。

先輩リーダーのスタンプ
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豊中16団 BS隊長 岡野 富雄

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2008年08月25日

第4回 22団CS隊長の巻

今年度は22団が2団と分封して30周年を迎える記念すべき年であり
30年間継承していただいた先人にあらためて感謝をする年であります。
私は分封当時からいた訳ではないのですが振り返って見れば子供たちがお世話になってお手伝いをするようになり、DLから今日まで早16年も過ぎてしまいました。

スカウト経験のない私がなぜ今22団で奉仕させていただいているのか。

そもそものきっかけは、私がまだうら若き頃、阪急服部駅前でボーイスカウトの子供たちが緑の募金活動をしているところに出くわしました。私も通りすがりに大金を募金したような気がします?その光景をみて私も子供ができたらあんな事させたいなと思いました。(子供の頃から男の子のように育った私は野外を走り回る遊びが好きだったというのも多いにあると思いますが)
その後男の子に恵まれ日々の生活に追われながらもボーイスカウトに入れたいという私の思いは消えませんでした。
しかし当時はスカウト人口が多く、今ほど募集に力を入れてなかったのでどのようにして入団できるのか全くわからなく、そのうちに服部から現在の住まいに引っ越ししてしまい、思いが少し薄れかけた頃、豊中市の広報にスカウト募集のページを見つけ、さっそくコンタクトを取ろうとしましたがどこの団に連絡をすればいいのか皆目わからず、取りあえず自宅に一番近い住所の方に連絡を取ることにして、やっとのことで入団することができました。初めての集会に兄弟で仲良く参加して、嬉しそうに帰宅してきた時の顔と、わずか1日のことなのに一回り大きくなったような気がした我子に母として感動した事は今でも忘れられません。

それが豊中22団でした。
ボーイスカウトへのきっかけを作ってくれた服部駅前で募金活動をしていたスカウトたちも22団のスカウトだったと知りご縁というものを深く々感じました。
それから16年、底なし沼に足を取られたかのようにはまり込んで、楽しんで今日に至ってます。
私たちも日々何気なく野外での活動してますが、20年ちょっと前の私のように、興味をもって見ている人が実は大勢いるかもしれません、ボーイスカウトの精神を忘れずに、時には営業マンになりながら多いにスカウティングを楽しみましょう!!

豊中22団CS隊長 澤  恭子


※次回はBS隊長です。
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2008年08月18日

第3回 7団 BS隊長の巻

私のBS隊員時代


1974年、ちかいを立てた私は年少隊(カブ隊)から少年隊(ボーイ隊)に上進した。真新しい制服を着て、まだシャキシャキのハットをかぶり写真に収まる私がいる。
 今回、隊長数珠つなぎの企画のため、掲載してもらう写真を実家に帰って探し出しながら、同じく私とともにスカウト活動を永年やってきた親父との間で、懐かしい思い出話に花が咲いた。感謝、感謝。

 さて、私の上進当時の制服は、既述のとおりB−Pと同じくハットに半袖半ズボン、ハイソックスに緑の房のガーター。進級章はスカウト章が分解されていて、初級章は「ゆりの花」の部分のみ、2級章は帯より下のモットーが書いてある部分、1級章で初めてスカウト章が完成する形式であった。私が中学2年の時に現在の初級は緑、2級は青、1級は赤の記章に変更になり、常にスカウト章が判る形に変わった。
 また、技能章も少年隊と青年隊(シニア隊、現ベンチャー隊)とは区別されていて、緑の丸縁の少年炊事章、少年野営章などがあり、後に統合されているから過渡期であった。 さらに現在のターゲットバッジに近い形で以前にあった特修章の進歩制度が始まり、当初はベルトに通して着ける金属製の記章であった(のち布製に変更)。
t07_bs.jpg

そんなボーイ隊の隊員時代。楽しいことも山ほどあったのに、懐かしく思い出されるのはしんどかった事ばかり・・・。初めての長期野営で帰りの路線バスに乗り遅れそうになり大きなリュックを担いでバス停まで走らされた神鍋、名色高原。発熱のため1日遅れで到着した岡山、西粟倉村大茅。1級旅行で1人1個の西瓜を持たされて登った能勢、剣尾山。一生忘れまい。疲労の班員の荷物2人分を担いで帰途に着いた班長時代の兵庫、諸寄浜。満月の夜、テント内に蟹が大量に入ってきた(笑)。
 班の仲間と過ごした長期野営。5泊6日、6泊7日なんて普通だった。助け合い、考え、実行する。この貴重な体験は他の何ものにも代え難い。
 今、改めてスカウティングの素晴らしさを見つめなおし、子どもたちの健全な成長のために、これからも微力ながらこの活動に携わっていきたいと思う。
  (写真は2級章の進歩記章をもらい隊長と握手をしている私です 場所天王山)
豊中7団 BS隊長 葛城利彦


次はカブ隊の隊長です。
posted by 事務局 at 23:55| 大阪 ☁| Comment(2) | リーダー数珠つなぎ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月07日

第2回 5団BVS隊長の巻

皆さん「おおだくま」ってご存知ですか?

岡部団委員長の下、“楽しくなければスカウトじゃない!”を実践する当5団だからこそ今回の騒動は起こったのでした。

 それは2月も終わりを告げようとした日曜、活動に同行されていた安田前コミッショナーの一言から始まりました。

「野口さん、チョッとええかな?」このとき5年前のある記憶がデジャブーの様に重なりました。補助者として参加した夏季キャンプでの出来事です。ポイントハイクを担当することになったのですが、私の関所が予め安田さんとペアになるように割り当てられていたとのことです。

安田「野口さん、チョッとええかな?」

野口「はい、何でしょうか?」

安田「スカウト活動は楽しいかね?」

野口「はい、子供たちと一緒に楽しんでいます」

安田「じゃあ、決まりやな」

野口「えッ?な、何がですか?」

安田「BVSの隊長やがな」

野口「いきなりで困ります、第一家内が…」

安田「奥さんも大賛成や」

野口「え?家内を先に押さえたのですか…」

安田「まあまあ、ええがな」
(この人は私が家内に頭があがらないのを知っていらっしゃるのか…)

野口「でも、やはり隊長は無理です。例年5月には友好商社の植樹祭に参加するため研修所にはいけそうもありません」

安田「構へん、構へん、私が何とかするから大丈夫」

野口「…」
あの人を魅了する人たらしの笑顔にかかると造作もなくビーバー隊隊長の一丁あがりでした。そして、今回です。

安田「野口さん、チョッとええかな?」

野口「はい、何でしょうか?」

安田「野口さん、今度九州に出張らしいね」

野口「はい、来週行きます。が、なぜご存知なんですか?急に決まったので家族にもまだ伝えておりませんが…」

安田「いや、そんなこと大したことあらへんて」(スルーですか…)「ところでビーバー隊は三角点100まだみたいやね」

野口「いえ、次の活動で宝塚に探しに行ってきます」

安田「宝塚ね〜。ウン、ウンそれも良いけど佐賀のオオダクマって知ってはる?」

野口「地名ですか?聞いたことありませんが…」

安田「構へん、構へん、調べたら直ぐ分かるから。そこに日本で一番低位の一等三角点があるんやて」

野口「日本一ですか、それはすごいですね」

安田「そうやろ、そうやろ。じゃあ、決まりやな」

野口「な、何がです?」

安田「日本一を目指して5団を代表し野口さんがオオダクマに行くということやがな」

野口「えッ、え〜?!でも、隊員たちも宝塚へのハイキングを楽しみにしているんです」

安田「やっぱり、目指すんなら日本一やで、ワクワクするね〜」
(聞いていないな、この人は…)

野口「今回の出張は福岡なので、佐賀のオオダクマはちょっと難しいと思いますが…」

安田「佐賀と福岡はお隣さんで同じようなもんや、大丈夫私が保証するから」
(安田さんが保証するって言っても…)

野口「でも、仕事で行きますので会社が許してくれるとは思えません…」

安田「構へん、構へん、私が何とかするから大丈夫」

野口「…」 この様にして当団のオオダクマツアーは決定いたしました。

 結論です、皆さんも是非ご留意願います。あの人たらしの笑顔で、「○○さん、チョッとええかな?」と呼ばれたら…ご注意くださいませ。

5団BVS隊長 野口 宗宏

※次回はお楽しみです。
posted by 事務局 at 00:06| 大阪 ☔| Comment(2) | リーダー数珠つなぎ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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